男の自信は彼女のおかげ。
そんなことを書きますと、「それは彼女に依存しているのでは?」と思ったりもするかもしれませんね。
でも、それは杞憂です。
感謝の感度が低いのが依存ですから。
自分の欲求ばかりに気持ちが傾いて、与えてくれる人の気持ちが見えなくなっている状態のことを意味します。
その心理的なチェック方法としては、損得に敏感になっているか、それとも、ありがたさに敏感になっているかでわかります。
「あれも感謝だな」「これも感謝だな」って、いままで気がつけなかった感謝が見えてくるほど精神的に自立してきている証となるでしょう。

それというのも、感謝って、愛情やサービスを受ける側としているだけでは、なかなか気づけないものであって、自分も与える立場になってわかってくるもの。
失恋経験のみならず仕事などもそうですが、頑張ったのにわかってもらえないつらい体験、人を愛することの難しさなど、自分の思うとおりにならない経験を重ねてきてわかるものではないでしょうか。

最近の親はあまり言わなくなってきているのかもしれませんけども、こんな言葉を聞いたことはありませんか?
「オマエは誰のおかげでメシが食えていると思っているんだ!」
子供の立場からすれば、ずいぶん酷い言葉ですよね。
映画「男はつらいよ」の主人公フーテンの寅さんは、「おいちゃん、それを言っちゃあ、おしまいよ」といつもこのパターンでケンカになり旅に出ていきました。
たしかに、子供の立場からすれば人を見下したような傷つく言葉ですし、人に対して感謝を求めているうちはまだ甘ちゃんなわけです。
でも、ここで学びになる大切なことは、そういうふうに家族に威張り散らしたくもなるよなって、親の気持ちもわかることが精神的な自立なんですよね。
自分もまた大人になって会社勤めをしたりして、家族を養ったり、家族を愛することの難しさに直面してはじめて、親の苦労もわかるようになっていくものでしょう。

恋人に別れ話を切り出されたときも似たようなことが起こります。
「別れたい・・」と言う側がどれほど悩み苦しみ、つらい気持ちでいるのか、その奥にある気持ちを理解できる人が精神的に自立している人、大人なのではないでしょうか。
だから、別れのときに頬を伝う涙があるとすれば、それは相手への未練というよりも、自分の悲しみを超えて相手を思いやる気持ち。
別れを伝える側の苦悩も感じての涙であるでしょう。

筆者の子供の頃の話なのですが、公園で拾ってきた子猫を親に反対されて泣く泣く戻しに行った経験があります。
すでに懐いていた子猫を誰もいない夜の公園に戻しにいくつらさと言ったら・・
公園の隅っこに置いてきても子猫は後をついてきてしまうんですよ。
そうすると親に怒られる。
公園に戻しに行って、家に帰ってきて、また戻しにいく、そんな心苦しい往復を繰り返しました。
子猫の心情を慮ってみれば、いたたまれない気持ちです。
どうしたらいいんだろう・・飼いたいけど飼えない、子供心にもずいぶんと悩んだ、そんな苦い思い出です。

別れって、どうしたって、つらいものですよね。
別れを告げられたほうは死ぬほどつらいし、別れを告げた側も心が引き裂かれんばかりにつらい。
まるで海辺の波打ち際のような、葛藤と葛藤のぶつかりあい。
愛になりきれない悲しみを哀というのだと筆者は思っているのですけども、それぞれの立場のつらさを知って、つまり、人の哀しみを知って愛するということを学んでいくのではないかと、そんなふうに思うのです。
芳久

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