朝起きて、壁にかかっている時計が止まっていることに気づきました。
どうやら真夜中に電池が切れたようです。
おもしろいのは電池切れで動かないとわかっているのに
いつものように時間を確認しようと時計を見てしまうのです。
そうだった、この時計は止まっているのだ。
しかし馴染んだ習慣は急には変えられません。
いま何時だろう・・
止まっているとわかっているのに何度も何度も見てしまうのです。

普段あたりまえにあるものがなくなっている。

「アレっ、どうしたの?」って思う、この困るような気持ち。
この感覚って、なんなんだろう・・?
なくなって初めて気づく物悲しいような感覚。
かつて、どこかで似た感じを経験していたようです。

終わったはずの関係であっても、
感じきれなかった痛みの感情は残っているもの。
ときに、ふとした瞬間に心の表層にあがってくるのでしょう。
日々忙しくしている人にしてみたら、
なんて暇なんだくらいに思われることですけど。
幸か不幸か、心の学びをしていると、こうした気づきは大きくて。
埋もれていた心の裡が見えてくるたび、その痛みと共に嬉しくもなるのです。

「小さなことにも気づきの目をもってみて」
そう言えば、かつて、ある人に伝えてもらった言葉を思い出します。
というか、その人こそ、ある日突然のようにして去っていったのでした。
身をもって伝えようとしたのかどうか・・わかりませんけども。
あたりまえにあるものなど、たぶん、ないのでしょう。
もっとこうしていれば、ああしていれば・・こんな後悔はなかったのかな。
ありがたさが身に沁みるのは、いつも後になってからなのです。

だとしたら、もし日々のありがたさにもっと細かに気づいていたら、どうなのでしょう?
ちょっと試しに周囲を見渡してみました。
あれも感謝だな。
これも感謝だな。
そうだ、そうだ、あの人にも感謝だな。
いやいや、あの人にだって感謝だよ・・。
今ある幸せの、その膨大さに目も眩んでいくような気がするのです。
その存在の大きさに。
その愛の深さに。
それは心が震えすぎて、その場にいるのが耐え切れなくなるくらいなのです。
芳久

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