不倫に関するご相談は多いものです。
遊び相手が欲しいといったものから、寂しさの穴埋めや満たされない心の空虚さ。
そして、映画「失楽園」さながらの命がけの不倫まで。
不倫にもさまざまなケースがあります。
なかでも、現代型不倫と言われるものの特徴を表しているものがテレビの相談番組で取り上げられていましたので、そのなかのお便りを紹介します。

『不倫をしました。
もう半年も彼の腕のなかで休むこともできないのに。
怒られて、別れて、甘えて、話をして、また怒らせて。
「もうしない」と約束したのに、私はまた彼の家に電話をかけて押しかけたのです。

彼の奥様は怒り、彼も怒り。
でも、帰るお金もなかった私を家まで送り届けてくれたのは彼でした。
「もう愛はない」と彼は何度も言いました。
そして彼は、私の主人に何度も頭を床にこすりつけて謝ってくれました。
「私だけが傷ついた」と私はわめき、彼をなじり、黙る主人、謝る彼。
その時間だけが過ぎ、彼は帰っていってしまいました。

主人は「子供のためだ」「もう終わったことだ」とそれだけ言いました。
なのに、私はまだ彼を求めています。』


**

家庭という生活の基盤を失う恐れよりも不倫相手を失う恐れのほうが強い。
それが現代型の不倫の特徴でしょう。
不倫というものは昔からあったものですが、先人曰く、今とは違ってもっと後ろめたさのあるものであり、家族に対してのやましさがあったそうです。
すこし深掘りして考えてみますと、愛と憎しみは背中合わせ、愛すると同時に苦しみの種も生まれるものなのかもしれません。
仏教の言葉では、「男女の愛は渇愛の愛」、飢えに苦しむかのような執着心に苦しむことがあり、それは無償の愛ではないと言われています。
とはいえ、生身の人間、いつもいつも無償の愛でいられるものでしょうか。
渇愛の愛・・尽きぬ欲望・・執着心・・
それらが避けようのない人間心理の一面をあらわすものなのだとしたら、
どのようにして渇いた心と折り合いをつけていったらいいのでしょう・・

つづく

芳久


IMG_1912