あと何年生きられるのでしょう。
こういう話題は嫌がる人もいるとは思いますけれど、実は心を整理していくうえで大切な観点なのではないかと思うのです。
それと言いますのも、やり残したことや、やっておきたいこと、将来、悔いとなるようなことはなるべく少なくしておきたいものではないでしょうか。

「いつか、いつか」では、多分そう言っているうちにできなくなるものであって、世間では嘘か本当か、あたりまえに人生100歳時代になると言われてはいるものの、できることはできるうちにしておいたほうが良いし、だからこそ、そのための準備も必要なのでしょう。
家の片付け、不用品の整理から始めるのもいいでしょうし、出かけたいところに出かけ、体験したいことを体験し、そこで味わう感覚を心ゆくまでじっくり味わう。
そうして『心で感じる』ということを大切にして過ごしていけたなら、後悔すること少なく、きっといいのではないかと思うのです。

とはいえ、すぐに思ったようには進めないことも人生にはあるものであって、叶えてみたい夢はあるものの、目の前の現実はそれに程遠く、どうにもならない人間関係に葛藤して大切なエネルギーを奪われていることもあるかもしれません。
それは、気が付きにくいことなのですけれど、心理的な罠なのですよね。
私たちの歩みを止めること・・それこそが自己中心的なエゴの目的であって、実のところは幸せを遠ざけることになっています。
その証こそ、私たちが「恨みと憎しみ」を手放せないことにあって、問題の本質は恨み憎しみに心が囚われてしまっていることに自覚が持てていないことにあります。
普段あたりまえのように、人と自分とを比較して落ち込んだり、羨ましく思ったり、自分のことを棚にあげて人の過ちを批判したり・・。
見える外界は私たちの内面世界が投影されて成り立っていることを忘れてしまって、自分以外の人が苦しみの原因であると思ってしまうのです。

筆者自身、『あと何年生きられるのか』と自らに問うてみたとき、身に染みて感じたことでしたが、もはや後回しにはできない向き合うべき課題であると思うに至ったものです。
このまま恨み憎しみを心の奥に抱えたまま生涯を終えていくのだろうか・・
果たして、それでいいのだろうか。
夢を叶えるにあたって、また、悔いなく過ごしていくにあたって、なかなか思うに進まないのだとしたならば、まずその障害となるものがあることに気づくことが必要なのでしょう。
『気づけば変わる』
好きな言葉です。
ただ、気づくということのほんとうの意味は、アタマで「わかっています」「もう知っています」では足りてなくて、体感的な感情を伴うもの、身を震わせるくらいのものでなければ気付いたとは言えないものでしょう。
言うなれば思考優位な状態とも言えそうです。
もちろん判断することも大切なことですが、その弊害は心で感じるということが疎かになり、やがては心の働きが鈍ってしまって喜びや感動を感じられなくなってしまうことにあります。

私たち各々の人生の目的を叶えるにあたってクリアにしておくべきことは心のなかの恨み憎しみを浄化しておくこと。
究極的なことを言えば、心のなかの引っ掛かりや、わだかまりを溶かして心を軽くしておきさえすればそれでいいとさえ言われているくらいです。
そうしていれば、あとは、神の意思、天の意思、自らの深い心と同調して、自然としたい行動に移れるようになっていくようです。
芳久


季節感を大切にしたくて・・
秋を感じるもの
日本の御菓子にもそれは表れていて愉しめるものです
宗家 源吉兆庵の御前栗


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