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夫婦関係を始めとして、相手の人の外見(そとみ)ではなく、内面を見て、そこに美しさを見出すことは大切なことかと思うのです。
とかく、その人のネガティブな発言や態度にばかり注意が引かれてしまって嫌な気持ちになるものですけども、そこから一段視点を高めて、その人の内面的なものにまで目を向けていくと、意識は広がり、心の穏やかさにつながっていくような気がします。

誰もがヨチヨチ歩きの赤ちゃんだった頃は無邪気で純粋な心でいたものです。
自我が芽生え、さまざまな経験をし、思うにならない嫌なことも起こり、そうして心が傷ついたりして純粋な輝きを曇らせていってしまうのですが、それは傷つく痛みから心を防衛するために鎧をつけたり、斜に構えたりして、不安と恐れと疑いに本来の心を覆われてしまっているといったようなものでしょう。
しかし、元々あるのは純粋で無垢な心なのです。

相手の人の態度に振り回されてしまうのだとしたら、内面の神聖な無邪気さを見出すことに意識の力を向けてみる努力は無駄にはならないものでしょう。
美しさに意識を向けようとしている、その自分の心がまず何よりも神聖な意識になっていることに気づいていくからです。
ちょっと不遜なことかもしれませんが、神の代理人に任命されたつもりになって、神の目、神の手足になって、その人の内面に覆われている輝きを見つけて祝福するのです。
人の欠点を見て咎めるか、それとも、人の美しさを見て祝福するか、その主体的な選択が人と人の関係性の流れを変える重要な視点になるのではないかと思っています。

見ようと思えば、愛らしさは見つかります。
そして、輝く美しさに意識を合わせれば合わせるほど、美しさは広がります。
この世の意識の法則、『あなたが与えたものが、あなたに与えられる』、その通りです。
見えるものは意識の反映であり、つまりは、見たいと望んでいるものを見ているのが心の仕組みであるということです。

その人の美しさを見たいのか。
それとも、罪深さを見たいのか。

それを決めることができるのは自分次第なのだと気づいたとき、自らのしてきた愚かさに恥入りながらも、「裁きの目」はもう止めようと思ったもの。
私はこれから、どういう世界を見ていきたいのだろう・・?
美しいものに意識を合わせるようになっていくと、美しいものへの興味が高まり、それに連れて心も自由さを取り戻していくようです。
芳久

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