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12月となりましてクリスマスからお正月へと、なにかと神や仏を意識することが増えてきます。
そのような折に思うことは、何かしらのご縁があってこうして命を与えられ生きているのですから、イベントごとがあるときのみならず、愛や神の意識のような大きな視点でもって自分自身と、その投影である世の中を見つめて楽しめたらいいのかと思う今日この頃です。


さて、今日の本題に移りたいと思います。
いつになったら私は幸せになれるのだろう・・
不運なのは、神や仏や宇宙の原理のようなものから見捨てられているからなのではないか・・
そんなふうに自分のことを思ったことってありませんか。
心理からすれば、それって私たちの内面の投影なんですよね。
神や仏を疑い、宇宙の原理を軽んじて、神や仏の意思することに反することを私たちがしているからそう思ってしまうと、そういう心の仕組みであるようです。

幸運の恩恵が私の元に来ない理由は、それが与えられないからなのではなくて、自ら拒んでいるのがその実情なのかもしれません。
『私が私が、オレがオレが』のジャイアニズム的な自我意識は自分を守り、自分を高めるように作用すると思いがちですけども、実際はそうではなくて逆に自分の価値を狭めてしまう『自己制限』なのです。
そのため幸運や恩恵も『制限』してしまうということになるようです。
とすれば、あらゆる幸運を『受け入れられる私である』ということを意識し直していきたいもの。
今までの自分の在り方をチェックして、それが『偽りの私』であったことに気づき、心新たに『本物の私』を求めてみることをお勧めしたいと思います。
幸運を引きつけるのに必要なことは純粋な心に戻ることと自己認識をあらためていくことがそのポイントになるのでしょう。

自分の内面の本質、内なる神(内なる愛)を意識して日々を過ごしていくことが、やはり大切になってきます。
『同行二人』という言葉が示すように、内なる神と共に歩み、幸せで豊かな人生の波に乗っている私であることをイメージしてみますと、自然と自分の進むべき方向が見えて、何をすべきか、どうあるべきかがわかってくるようです。
神からの恩恵は、自我(エゴ)の思考を遥かに超えた深い意味のものであるのでしょう。
幸運とは単に嬉しいことが起きるということを意味するのではなく、たとえ災いが起きても転じて福となすということに、その本質があると思います。

自分自身に課している『制限』を外して、もっと楽しく喜び溢れる世界を求めてみませんか。
そのためには恩恵を拒む態度と意識をあらためることが必要となってきますけども、そのとき心はオープンになり、本来のユーモアある親しみやすさもあらわれてきますから、きっと、さまざまな幸せを引き寄せ始めてくるのでしょう。
目から鱗が落ちるかのような気づきや、インスピレーションの閃めきが起きるように変わってきたら、望ましい人生の波に乗ってきた兆候をあらわすサインだと思います。
内なる神の意識と同調している時、天からの恩恵ともつながりやすいようです。

誰もが幸運を手にして喜びを感じられる日々となりますように。
芳久