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吹き抜けのロビーに高さ6メートルの大きなクリスマスツリーが飾られていました。
これもきっと何かのご縁となるのでしょう。
すべての出会いに意味があり、起きた出来事のすべてに意味があるわけです。
いつもの性分からこの共時性のメッセージを読み解いてみますと、
クリスマスですから聖なる日を皆で祝福するためのもの。
たぶん『もっと大きな愛になれますように』という赦しの本質を象徴したクリスマスツリーなのかもしれません。

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もし、苦しいばかりの関係性に悩まされているとしたら、
それはどのように考えたらいいものなのでしょうか・・?

親子、夫婦、職場・・
あらゆる対人関係においての基本は『私がどうあるか』ということ。
奇跡のコースの一節には、このように記されています。

『喜びのない場所では、自分がそこにいないと気づく以外にどのようにして喜びを見つけられるのだろう』

この言葉の意味することを考えてみますと、
神の子である私が愛ならざる関係にいるということはあり得ない、おかしなこと。
言い換えますと、どのような関係においても常に私は内なる神と共にあり、
『愛の意識』を揺るがせにしないということが大切なのでしょう。

ここで一つ、陥りやすい心理的な罠があって、それは、苦しい関係と戦ってしまうこと。
敵視した姿勢が自らの心をダークサイドに縛りつけ、
否定をすればするほどダークサイドのエゴの術中に落ちてしまうのです。
また、敵視されたら敵視し返すのがエゴの常套手段。
二人して抜けられない罠に落ちてしまうことにもなりがちなのです。

では、愛ならざるおかしな行動をしている人に対してどうしたらいいのでしょうか。
その人には何を与えたらいいのでしょうか・・?

今までの習慣から批判的な目で相手を見てしまうものですけども、
与えるべきものは攻撃ではありませんね。
愛の働きかけか、さもなくば私は私で愛を意識し続けるかということになるのでしょう。
『私のありかた』がとても大切になってくるようです。

具体的には、その相手の人の内面、奥深くを見つめていくこと。
荒れ狂うような人を前にしてその人の内面を見つめるのは難しいかもしれませんけども、
『愛に勝てる恐れはなし』
一歩踏み込んで見つめてみれば、何か見えてくるものがあるはず。
そこには不安や恐怖に打ち震えている姿や、
守ってあげたくなるかのような傷つきやすいハートが見えてきそうな気がします。
愛を意識し続けた人の勝利は、そこにあるものなのでしょう。

大切なことは、聖なるつながりの意識を持つこと。
つながるのはエゴのレベル(特別性や争いのレベル)ではありませんね。
対等な愛のレベルにおいてのつながりが大切になりますから、
『この人とは、どこで繋がれるだろう・・?』
愛を見失わずにいれば、いつかきっと光が見えてくるのではないかと思うのです。


誰もが内なる神とつながり、愛の意識から物事を選択できますように。
芳久