人生には、さまざまな出会いがあります。
ときに反面教師となる人との出会いもあるのではないでしょうか。
望ましくない出会いにしても
意図しない現実に突きつけられても
そこには、何か意味があるのではないかと思うのです。

望ましくない現実に際して、ただただ嫌なことだと思うのか
それとも、人生上の学びとして捉えていくのか。
神や、大いなる意識と共に歩んでいくための構造はシンプルで、
常に問われているのは『愛か怖れか』の二択。
沸き起こってくるパターン化された感情に流されていては
エゴの術中から抜け出せないものでしょう。

たしかに、この世は『愛ならざるもの』で溢れています。
ですが、そこで怖れを選択しなければならない必要はなく、
愛からの選択もできるもの。
愛ならざるものに相対したとき咄嗟に怯えてしまったり、
思わず怒りを向けてしまったりしがちですけども、
その反応の仕方如何によって、
その後の展開、未来の流れは変わっていくようです。

そもそも怖れとは想像上の幻想にすぎないもの。
幻想に怯え、幻想に怒り、
そうしてエネルギー与えることによって怖れが膨らみ、
怖れに囚われてしまうのがエゴによる心の支配の仕組み。
本来、幻想であるはずのものを現実にしないよう留意したいものです。

そのような時は『聖なる否定』を使って超えていきたいもの。
『私は怖れに影響はされません』
怖れの存在を否定するのではなく、
その及ぼす影響力を否定するのです。
逃げるでもなく。
戦うでもなく。
怖れに影響されない私であることを意識。
そうして怖れといものは無力化していくのではないかと、
今日は、そんなことに気づきが感じられてきたような気がしています。

すべての人が、心のなかに巣食う怖れを取り除いて、
『ありのままの私』でありますように。
芳久

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