人生を不幸なものにしてしまう心理的な罠となるもの。
それは自らの純真さと神聖さに気づかないでいることなのでしょう。
もしくは、それらを受け入れないでいる日頃の姿勢が
不運を手放せなくしている要因なのではないかと思うのです。

『純真さと神聖さ・・
そのようなものが自分にあるとは思えない』
そんなふうに思ったことはありませんでしょうか・・?
エゴ的な意識で暮らしているのが普通ですから、
神聖さなど意識したことはないかもしれませんけども
とても大切なことなのですよね。

誰もがやがては『あの世の冥土』、神の元に還っていくもの。
その神の子であるがゆえに、
本質において純真であり神聖なものでしょう。
なので、そうは思えない人がいたとしても、
それはエゴを纏っているからに過ぎないのです。

とはいえ、自らの神聖さを認めるとなると話は違って、
どことなく傲慢な気がしてきたり、
思い上がった感じがしてくるものではないでしょうか。
しかし、神聖であることを受け取らないことのほうが
神に対しての傲慢な態度であるのでしょう。
なぜならば神聖さへの気づきこそ神の意図することであり、
さまざまな経験を通して各々の神聖さを認め合っていくこと、
そこにこの世の体験の意味があるのではないかと、
そんなふうに思うのです。


『すべての人が純真であり神聖であるということ』
ときに、そうは思えないこともあるものですけども
誰もが神聖さを認め合うことができますように

熱海 MOA美術館にて
梅の花咲く春の訪れを感じながら
芳久

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