来週から春の彼岸。
暑さ寒さも彼岸までという言葉のとおり、
だんだんと春らしくなってきたように感じます。
寒さから暑さへと移りゆく季節の流れは
大きな変化のときであると言ってもいいのでしょう。

この世の日常を幸せなものとするか、
それとも、苦しいものとするか。
その心理的な分かれ目はシンプルであって
自分のことを自分がどう思っているかによって左右するもの。
良き存在と思っているか、
それとも悪い存在と思っているかによるものでしょう。

もし絶対的な自己肯定感があれば、
どんな困難にも前向きになれるのでしょうけども、
そこがなかなか難しいもの。
ネガティブな自己像を手放せないのが
現実ではないでしょうか?

その対処として思うことは色々ありますけども
まず気づくべき大切なことは、
本気で幸せになる気があるのかどうかなのでしょう。
言い換えますと『自分を癒す』ことにコミットしているのか、
それとも、まだ心に痛みを抱えていたいのか・・
案外、幸せを求めつつも手放せないことがあるものです。

例えば、人に心を開くことができるでしょうか。
心の痛みを打ち明けられるということはすごいことであって
それは勇気ある変化への一歩となるものです。
『自分を隠す』ことや『自分を飾ること』に努力していた
そのエネルギーが不要となったとき、
それは革命的にと言っていいくらい
自己肯定感が高くなっていくものでしょう。

また、内なる神への『委ね』として、
心の裡をさらけ出すことは必要なことです。
心の痛みを隠したまま望む幸せを願ってもダメなのは、
愛の障壁となるものがそのままになっているから。
まず先にすべきことは心の浄化に努めること。
そして心の中の障壁を取り除くことができるよう
内なる神に祈ることでしょう。

それは、すなわち、自分の痛みを受け止めるということ。
隠すことなく、また、飾ることもなく。
『ここに愛の障壁となっている私の痛みがあります』と。
自分では解決できない心の痛みは神に捧げるものなのです。
そうして、そのような意識を持って日々を過ごしていれば
神の愛がこの世の誰かを通じて分かち合えるのではないかと
そんなふうに思うのです。

すべての人が『内なる神』と繋がり、
ありのままで許されますように
芳久

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